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紫南宮の由来
 
紫南宮『下井仔雍菜』の物語
『『嘉慶帝は台湾に遊ぶ』の伝説物語の中で、竹山地域で「李勇廟
」及び「竹山の赤いサツマイモは小さいとても美味しくなる」及び
「照鏡山に美女が多かった」というエピソードと伝説のほかにまた
、別の言い伝えによると、嘉慶帝が竹山一路に沿って北部へ行って
、現在の社寮渡り場にやって来たことがありました。その時、この
社寮小学校の近くに王爺廟があり、伝説によると、嘉慶帝のそばに
保護する将軍は(鄭さん、黄さんという二人の将軍だった)嘉慶帝
を護るためにここに犠牲になってしまった後、「鄭府王爺」及び「
黃府王爺」という封号を嘉慶帝に追贈されました。
 
その後、嘉慶帝は社寮渡り場に行って、当時に物資が欠乏していたから、人々は「下井仔の雍菜」を摘み取って嘉慶帝におもてなしに届
きました。下井仔地域は泉水が一年中絶えず湧いているため、この水によって栽培している空心菜は、格別に新鮮、かつ柔らかくて美味
しくて、それがゆえんに嘉慶帝に褒められて、さらに名称を嘉慶帝に名付けられました。年代が遠くなって既に忘れてしまったので、現
在の田園調査によるとそのような出来事を知ったのです。本件の真偽にもかかわらず、もし下井仔の天然資源の泉水がよく利用すること
が出来るとしたら、下井仔の「泉水の雍菜」を栽培することもできる筈で、必ず地方の特色を具有する農産物になることが出来ます。
 
 
嘉慶帝は社寮の渡り場から濁水渓を眺めていると、その渓流の波が
とうとうとしているから、全く渓流を乗り渡ることが出来なかった
のです。それがゆえんに竹脚寮の土地公の神様に助けることを祈り
ました。それから竹脚寮の土地公の神様が霊験を現して、さらに安
全に嘉慶帝の渓流を横渡ることに助けました。しかも鹿港を通じて
、海に出るまでに送りました。その後、竹脚寮の土地公の廟は、皇
帝から封号を授けられて、さらに官僚としての帽子も頂いた。しか
も、武士と文官が神様のそばに守ってくれるようにしていた。これ
は、いわゆる現在の『紫南宮の土地公』です。
 
廟宇を改築することにより、廟宇の事務と儀礼を詳しく熟知している方が必要となり、人々は、当時に家の中に神壇を設置することが
あって、また、廟宇の建築に対して、細部までに熟知すること、さらに当時の雲林農田水利会の代表だった莊其炎さんを推薦して、再
建委員会の主任委員を担当した。当時には経費不足の状況の下で、莊其炎さんは、人々に奉仕する勇気が本当に尊敬されます。
 
 
その後、紫南宮再建委員会が募金することによって、人々は自由な
寄付をして、やっと民国七十年の旧暦九月二十六日から起工して、
民国七十一年十一月まで完工して落成した。民国七十二年から「紫
南宮管理委員会」に改めて、なお、初任の主任委員として、莊其炎
さんを推選した。現在では、莊秋安さんが第八任期の主任委員に担
当しています。